昭和51年08月15日 祈願大祭前夜祭



 おかげを頂きました、夏の祈願大祭の前夜祭が只今滞りなく終わらせて頂きました。いよいよ明日の大祈願祭が、本当に大祈願祭にならなければならない、祈願すると言う事は願いをかける願いをする事でございます。だからその祈願が成就しなければなりません。どうでもの願いどうでもの願いをもって祈願のお祭りにならなければ、只名のみの祈願祭に終わってはならんと思います。
 今日ちょうどいろいろな準備をさせて頂いて、ようやく終わったという様な時分に、福岡の宮崎先生がお参りになった、それで応接間でまぁいろいろちょうど末永先生もい合わせておられたから、それから秋永先生と四人でいろいろお話をさせてもろうて、まぁ聞かせて頂いた事なんですけれども、宮崎先生は本部の議員を教師のまぁ九州で何十名からの、議員の方達がおられるそれに選出されておられる大変頭脳明晰な先生です。特にこの外語は今の教祖の教典を英訳を本部から頼まれなさるという程しの方なんです。
 たまたま桜井先生を通して合楽の事を聞かれて、毎月神愛会に出られて始めは非常に合楽に対してまぁ批判的な答弁をなさっておられたが、最近では合楽のあり方に本当に帰依をされ、もうそのう途端から教会にご比礼が立ち出しもう随分に古い教会ですけれども、婦人会もなからなければ青年会も無かったのが、婦人会が出来青年会が出来この頃から、その青年会に合併で壮年会も開かれるようになったと、今迄とにかく小さい勿論お教会でしょうけれども、楽室も無かったし神饌室も無かった客室も無かった。
 それがこう瞬く間に出来たと言う様に、おかげを頂いて合楽の信心の間違いないところを、段々分かっておいでられておる先生であります。先日からその九州の議員の先生方の会合がございました。何時も合楽の話は必ずという程出て、合楽の話が何時も中心をなすのだそうでけれども、何時も真向から合楽は本当ならありゃ金光教ではないんだと、異質なもんだともう真向からその言うておられた先生が、この前からこの頃からだんだん本部のある先生といろいろ話されて、合楽のご比礼の模様を聞かれて。
 これは合楽で言うておる事しておる事は本当な事だと、本部が合楽の様な風になって来なければ、お取次成就信心生活運動の新発足はしたけれども、おかげにはならんだろうという風に言われるそうです。もうびっくりしたという話を今日はして下さいました。第一合楽が和賀心時代を創る。そして今日合楽示現活動に参画ということを言うておられる事を、もう聞けば聞くほど分かれば分かるほど、本部ではその合楽のなさっておられるのを、何年か遅れかでして来ておるに過ぎない。
 そしていて実際は実はあがっていないんだ。実意をもって丁寧をもって愛をもって、人に語って行くというても、一人対一人りではお話にならない。いわゆる合楽で言われておるところの示現、いわゆるそれを神仏が不思議な働きを示し表わすということだそうだが、そういう働きになって来なければ、今後の金光教団の発展は望めないという話をなさったそうです。もう随分「おかげの泉」なんかを読まれたらしいですね。そして合楽でいうておるいわゆる、和賀心時代を創る世界にということ。
 それから合楽示現活動に参画するという意味が本当に分かって、しかもその内容が頂けなければ、教団のいわば新発足はしたけれどもね。本当のおかげにはならんだろうという、まぁ不思議な事ではありますよ。そのそういうついこの頃までは真向から、合楽の信心は金光教の信心ではない、異質のものだと言うておられた先生が、そう言われるのを聞いて大変気強い有り難いものだと思うたという話をなさっておられます。私は今日明日のお祭りの事を、神様にお願いさして貰いよりましたら大きな団扇を頂いた。
 団扇と言う事はこう風を送るものですけれども、団扇は内輪と言う事に尽きるだろう。明日お祭りはあるけれどもやはり合楽内輪のお祭りだと言う事なんです。そこでですね例えば合楽の祈願祭にお参りをさせて頂いたら、どういう祈願でも叶えられる成就するという程しの働きが、出来て来る様にならなければならないと言う事です。これは先ず内輪の者もそうです。只祈願祭というてお祭りを拝む、祈願祭という名の祈願祭ではいけんのです。小倉の初代が九州中にいよいよね。
 大繁盛いわゆる五穀豊穣諸事繁盛の大祈願をたてられた。それには御本部造営の願いをたてられた。飛ぶ鳥も翼無しには飛べません、これはその時の始めて九州でこの祈願祭が仕えられる時に、お祝詞の中に読まれた一節であります。飛ぶ鳥も翼無しには飛べませんどうぞ翼を与えて下さい。為には桂松平をして御用にお使い下さい、九州中にあります小倉の出社一般に、九州中に産業、商業、漁業ね、農業あらゆる生業の上に、特別の大繁盛のおかげを頂かせて下さいという願い。成程飛ぶ鳥も翼無しには飛べません。
 どんなに大きな御用さして貰おうと念願しておりましてもね、あるものがあらなければ御用はでけんということであります。ためには信者がまず助からなければなりません、もう本当にです。もうあらゆる面に景気回復して、九州中にご比礼が立ったと言われております。そういう例えば祈願の精神というものがです。明日のお祭りには打ち出されてね、祈願が叶わぬ事はない成就せぬ事はないと、言った様なおかげになって参りますならばです。願いを持たない者は一人も無いです。
 より幸せになりたいよりおかげを受けたいと、言う願いを持たない者は一人もないのです。いよいよ末広がりのおかげを頂く為には内輪の信心ではいかん、いよいよ末広がりの外へ向っての、いうならば示現活動がいよいよでけて活動を受けた人達が、かつがつというならば助かっていく、これも夕方でしたもうまだ半ばで忙しゅうしとる所へ、飯塚の安藤さんが今日こちらへお参りの電車の中で、偶々信心の話になって合楽の御大祭で、今日お参りさせて頂いとる話をしたら、そういう所へ私を一辺つれて参って下さい。
 私は実は柳川のもんですけれども、というていろいろな難儀な問題を抱えておられる。その事をお願いに参りたいから連れて参ってくれとこういう、ので同々して参ってみえました。と言う様にねそういう示現を受けたそういう働きを受けた、いうならば信心の無い人達でも、間違いの無い働きを受けて現せれるような、ご比礼がいよいよ輝かなければならない、段々と合楽の信心が認められて来た。本部でも学院この頃から学院生が帰ってまいります。他所の学院生も何名も次から次とここに。
 三日、四日という風に修行に見えます。いうなら合楽ファンの先生方ばっかりですけれども、今本部でいろんな事を教えて頂くが、布教教導の事については永井肝四郎先生が、まぁ第一人者として御用にたっとられる。その永井肝四郎先生が、まぁあ学院生全部のまぁ尊敬の的である。信心もでけておられるし話される事も素晴らしい、その中に必ずといってよいほど合楽のお話が出るそうです。これでなからなければ人は助からん、これだけが本当の教団の発展はないぞと言うて下さる。
 そこでそういうところをテープで毎日聞かせてもらう、「おかげの泉」を読み返すだけではなくて、一辺その合楽に行って見たい来てみたいというて、来てみて帰る時に必ず、あぁお世辞もございましょうけれども、又聞くと見るとは大相違。親先生の側でお話を頂いておかげを頂くところからね、合楽の信心のいうならば真価に触れる事が出来る、という意味の事を皆んな言うて帰ります。皆さんの場合なんかはもう朝晩いうなら膝を交えるようにして、おかげを頂いておる訳であります。ですから内輪信心からね。
 これが内輪でなくて末広がりの扇子のおかげを頂く、それには先ず肝心要の内輪の皆さんがです。合楽の信心の真価を問われるなら答えられるだけの、おかげを皆さんが身を持ってお受けならなければいけないということです。今日は後で福神会がございます、先日から宮崎の綱さんという方が、もうそれこそ本当ではあるかと言う様なおかげを、次々頂き現わしておられるその話をです皆さん、末永先生があのう私がもうあんまりもう、その手紙細々と書いてあるから頭がこんがらがって分らん。
 それでいつも末永先生に読んでもらって、大意を聞かしてもらう。そしてお取次をさしてもろうて、返事を出すと言う様な事ですけれども、その末永先生が一から十まで知っとりますから、その手紙を読んで貰うて。どうしたならばこういう様なシャープなおかげが頂けれるか、そこのところをひとつ追求してみたい、今日は皆んな商売人の方達が、願ってやまないおかげの、その頂けれる元というか正体がどこにあるかをひとつ探ってみたいと思うとります。
 だから皆さんがそこんところの忽あいを、受けて頂き現わして行くというおかげを頂いて、内輪のおかげではなくて、それが措定の広がりのおかげになって参りましたらね。本部の方で私の言うておる事、又はおかげの泉なんかで言われておる様な事柄をです。いよいよ和賀心時代を創るということ、今教団でいわれておる天地書附を基軸としてと,言った様な運動がです。もう合楽では数年前からその事を芯にしての、運動が始まっておる合楽示現活動に、参画するというと運動始まるやいなや。
 もうそれこそね光の輪が今、私が毎朝三十分間控えに控えてご祈念をするのは、先ず大分から入ってそれから宮崎に入って、それから熊本に入って鹿児島に入って、それから長崎に入って福岡の各都市に入って、それから山口に入り広島に入り岡山に入り、それから四国の方に入りそれから東京の方に入り、そういう願いが三十分間の間にズートこうさせて頂くんです。もうあのここで一時間のご祈念には、そういう細々しいご祈念がでけん一時間では、だからさしてもらうんですけれども。
 もう本当に全国津々浦々に、現在合楽のご比礼が輝こうとしております。そういう働きを受けております。ですから皆さんがまず肝心要の要のところを頂かれて、要がしっかり頂いて参りませんと、外の方へ広がっていって、元の方がバラバラになる様な事があってはならんのですから、明日の祈願祭は只今申します様な内容で、祈願をするからには必ず成就するといういうならば、確信を持てれる様なご祈念でありたい、祈願でありたいとおもうのでございます。
   どうぞ。